子供の頃は雨の日が嫌いではなかったけれど

オムニバス(エッセイ風小説)

子供の雨と大人の雨

 子供の頃、私は雨が嫌いではなかった。
 けれど大人になるにつれ、雨の日の面倒なことが増えて、私にとって雨の日は次第に憂鬱なものになっていった。
 雨が降れば髪は広がるし、服は濡れる。大雨となれば洪水が心配だ。
 子供の頃はそんなこと考えもしなかった。ただのちょっとした非日常な天気を私は楽しんでいた。
 大人になるということはなんとも切ない。

 しかし、それでも私は時々雨の日の空を見て、少しだけ懐かしい気持ちになる。その懐かしい気持ちは私を淡く幸福な気持ちにもしてくれる。そしてその郷愁と淡い幸福さで、私の今の心は少し切なくなる。

雨の日に傘がない

 私が通っていた小学校は家から歩いて三十分ほどの距離にあった。私の住んでいる町は坂と街路樹が多い町だった。私はランドセルを背負い、そんな坂と街路樹の多い町を六年間歩いた。家から出てしばらくすると車道と霊園に挟まれた真っ直ぐな道がある。右手を車が走り左手に霊園があった。もちろん学校から家に帰るときはその左右の位置関係は私を中心にして考えると逆になる。
 下校の一時間ほど前から雨は再び急に降り出した。夕立と言える程度では済まない雨だった。あっという間に外には私の靴のゴム底を飲み込んでしまうくらいの水かさができた。学校が終わり放課後になると、私はその雨を校舎の出口から改めて眺めてみた。
 私があきらめるのは三分とかからなかった。それはあまりにも避けようのない雨だったし、一時的なものにも思えなかったからだ。私は濡れることを受け入れて、下校を始めた。幸いにもその日は五月の下旬で、雨に濡れてもそこまで寒さは感じなかった。春の服装をしてきたけれど、すぐそこに来た梅雨や夏の空気で少し汗ばむ。そんな日だったのだ。
 私はずぶ濡れになりながら通学路を歩いた。ランドセルは水を弾いてくれたが、隙間からはいささか水が入っているようだった。教科書は大丈夫だろうか。手に持っていた水筒入れはもうすでに絞れるくらいに濡れていた。私の持ち物の中で雨に濡れても平気なのはその水筒入れの中にあるステンレスの水筒だけだ。それ以外の持ち物も私自身も、水筒よりずっと軟らかくてずっと無防備だった。私は雨に濡れてはいたけれど不思議と嫌な気持ちにも悲しい気持ちにも寂しい気持ちにもならなかった。こんなに堂々と雨に打たれるのはもしかしたら初めてかもしれない。そう思うとこれも悪い経験ではないような気がした。
 私は一人でずぶ濡れのまま霊園の横を通っていた。毎日霊園の横を通らなければならないなんて薄気味悪いと思う人もいるかもしれない。けれど私はなんとも思わない。私にとって霊園はあまりにも日常の中に溶け込んでいたのだ。そこには恐怖はない。墓地は当たり前のようにそこに存在していた。当たり前のように存在する道路や街路樹のように。
 雨は弱まることなく降り続け、私の視界はとても悪かった。雲で光はさえぎられ、雨とうっすらとした霧が私の周囲に広がっていた。前髪が額に張り付き、そこを伝って水が頬に届いた。私のワンピースはバケツに入れた雑巾みたいに水を含んでいてすっかり重くなったしまった。靴は歩く度にビシャビシャと音を立てながら含んだ水を吐き出す。そしてまた水溜りから水を吸う。私は空を見上げた。雨が顔にかかって私は目をこすった。
 まるでプールみたいだ。
 私は思った。雨にぐっしょりと濡れる感覚は浴槽につかるよりもプールに入ることに似ている。どれも体を水が覆うことには変わりないのだけれど、お風呂で水浸しになる感覚とはどこかが違う。
 前方に人影が見える。けれど視界が悪くてそれが誰なのかはわからない。その人影は私のほうに歩いてくる。私達の距離は少しずつ縮まる。そして私はその人影の正体に気付く。その人影はお母さんだ。右手で傘を差し、左手に私の傘を持っている。私達は話ができるくらいの距離に近づいた。お母さんは私に傘を渡し、代わりにランドセルを持ってくれた。私達は残りの家までの道のりを並んで歩いていく。
 温かいな。
 私はそう思った。一人で歩いているときには気付かなかった。一人で濡れて帰るのが当たり前だと思っていた。けれど、今は違う。こうして、急に雨が降り出した日に、何の連絡もしなかった私に傘を持ってきてくれたお母さん。私はささやかではあるけれどかけがえのない幸福を感じた。
 雨に濡れている私は、もしかしたら寂しかったのかもしれない。
 お母さんと一緒に歩いているときに、私はそう思った。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました