他人を老害あつかいする老害

オムニバス(エッセイ風小説)

他人を老害扱いする老害

自覚がない老害

 老害は自分が老害であるという自覚がない。
 これが老害の恐ろしいところである。
 結局のところ老害というのは自分を一歩引いて見ることができない。それは考えが凝り固まっているせいでもあるし、高くなったプライドのせいでもある。

 いずれにせよ、老害は「自分はまともだ」と思っている。周りから信頼されているし、周りを理解しているとも思っているのだろう。

 だからこそ、他の人を老害扱いする老害がいる。
「あの人は話が通じないから」
「時代についていけない人だから」
「現場を全然わかっていない」
 自己紹介かのごとく、他人を批判する。
 自分のことを棚に上げての発言に、若い人は内心驚いてしまうものだ。
 人は歳を取るとこんなにも自分のことが見えなくなるのだと。

 自分は老害でなくて、現場のことがわかって、若い人の気持ちを読み取れて、信頼されている。
 そう思いたい年寄りは多い。その浅はかなプライドと、凝り固まった考えで、別の年寄りを批判する。若い人間から見れば、どちらも大して変わらない面倒な存在でしかない。

穏やかに理性的に合意形成を目指す

 考えが凝り固まるという意味において、歳を取るとは怖いものだ。
 私達は誰しもが歳を取る。そのような中で、どのように他者とコミュニケーションを取っていくべきなのか。

 おそらく人は穏やかで理性的に、誠実に歳を重ねていくべきなのかもしれない。
 そして可能であれば、荷物になるようなプライドを手放しながら。
 それはとても難しいことであることは明らかだ。
 しかし人を安易に批判していれば、老害が老害を批判する滑稽な状況に行きつくだろう。

 年寄りに意見してくれる年寄りは頼もしいが、飲み会や陰で年寄りを批判するだけの年寄りは情けない。

 理性的に、喧嘩腰ではなく穏やかに、自分の意見を言えること。
 そういう合意形成を目指せるコミュニケーションを若いうちから身につけることが必要かもしれない。

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