老害な上司の屁理屈|ネガティブな私

オムニバス(エッセイ風小説)

老害な上司の屁理屈

私にとっての屁理屈と、あなたにとっての屁理屈

 自分が想定しない理論を言われたときに人はそれを屁理屈と感じる。と、私は思う。

 たとえどれほど筋が通っていたとしても、それを想定できず、自分に落ち度があるとき、人はそれを屁理屈と感じてしまう。

老害の理屈

 その日、私や多くの人は夕方に設定されていた会議を午前中に行いたかった。
 その会議は私達現場の人間にとっては非常に重要な会議で、できれば早急に、かつ時間に余裕を持って行いたかった。

 しかしその会議は夕方の終業間際の時間に組み込まれた。現場の人間からすれば非常に重要な案件なのだが、上司からすると日常の業務予定を変更してまで組み込む必要がない。暗にそういう意味だった。
 私達は上司との温度差ももちろんだが、会議の時間帯も不満だった。どう考えても、その時間では残業は避けられず、現場の人間の負担がただ増えるだけだった。

 先輩は会議を午前中にしてはどうかと上司に提案した。その日の午前中は比較的みんなの時間が空いており、会議室も使える。先輩は社交的に、穏やかに提案した。先輩の提案は私も含め、多くの社員の心の声だった。

 しかし上司はその提案を却下した。
 原則として定期予定に組まれていない会議は午後に行うのが決まりだというのが上司の主張だった。

 凝り固まった理由に社員は呆れながらも、先輩はもう少し食い下がってくれた。
 今回の会議は重要な案件を含むし、せっかく予定が空いているならその時間を有効に使ったほうがいい。先輩は上司を非難せず、あくまで穏やかに主張した。

 しかし上司は聞き入れなかった。
 予定が空いているのは社員各々が仕事を自発的に見つけていないだけ。規則を守ることは社会人として当然。それが主張だった。

 そのあとも先輩は懸命に意見をしてくれたが、結局会議の時間が覆ることはなかった。
 そして最後に上司は先輩に、君は仕事ができるんだから、屁理屈ばかり言ってたらもったいない。そう言った。
 私達社員は、その言葉に唖然とした。この人にとって、先輩の意見が屁理屈でしかなかったのだ。

 結局のところ、上司は自分の意見をただ曲げたくなかっただけなのだ。
 そこに理屈とか、合理性とか、客観性とかはなくて、ただそれらしい理屈を持ってきて、自分の意見を通したい。自分の意見が正しくて、それ以外の意見は屁理屈。ただそれだけなのだ。

 私はそういう状況に呆れたし、悲しかったし、虚しかった。一生懸命私達の意見を代弁してくれた先輩だって、少なからず傷ついたりストレスを抱えたはずだ。そうやって先輩のモチベーションとか、社内の雰囲気とかを上司は壊していく。
 私はそういう老害が、やっぱり嫌いだった。

 

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