人生には非凡さと平凡さのどちらも必要である

オムニバス(エッセイ風小説)

非凡さと平凡さ

非凡であること

 人は人生には非凡さ求めることがある。

 人は自分の人生がかけがえのない、自分らしいものだと思いたい。
 誰かのようではなく、誰かと同じではなく、自分らしい人生。

 自分だからできることをして、
 自分ならできることをして、
 自分だからという理由で人に必要とされ、
 自分でしか成しえないもので人生を積み上げていく。
 自分が自分であるがゆえに認められる価値で生きていく。

 私は替えのきかない存在で、私の人生は私でしか形作れない、貴重なものだ。
 そのような人生を生きたいと人は思う。

 非凡であるということは、多くの人と違うということだ。
 人と異なる考えを持ち、人と異なる行動をし、人と異なる言葉を発し、人と異なる人生を歩む。
 そこには創造性とか才能とか独特の感性があるかもしれない。
 その違いが人を魅了すかもしれない。

平凡であること

 平凡さを求めることも、きっと人間の真理だ。

 人は時として、誰かと同じでありたいと思う。
 人生について考えたときに、周りの誰かを見れば答えがある人生。

 誰かと同じことをすればよくて、
 誰でもできることは自分もできて、
 自分だからという理由で責任を問われることもなく、
 自分がやっていることは他の人もやってくれる。
 私は価値を認められている多くの人のうちの一人だ。

 誰かが何かを持っていればそれが欲しいし、
 誰かと同じように扱われたいし、
 誰かと同じような日々を送りたい。

 誰かと同じことで笑えるし、
 誰かは私と同じことで笑ってくれる。
 私もあなたも、同じことが腹立たしい。同じことが嬉しいし、同じことが悲しい。

 誰かと人生を共有できること。共感ができること。
 そういう人生を生きたいとも思う。

 平凡であるということは、自分が多くの人と同じということだ。
 同じように考え、同じように行動し、同じようなことを言う。
 他人と似たような人生は、他人から見ればその他大勢かもしれない。
 同じであることが、安心感につながるのかもしれない。

平凡で非凡な人生

 おそらく人は人生に非凡さも平凡さも求めてしまう。

 自分にしかない才能が欲しいし、人とは違う人生を歩みたがる。
 けれどそうやって人と違う道を歩く中で、孤独を感じることがある。
 その孤独の中で、平凡であることの尊さを感じる。
 誰かと同じであることは温かく、誰かと違うということはこうも孤独を感じるものなのだと実感する。
 それでも人は、「別にあなたじゃなくてもいい」と扱われる人生に虚しさを感じる。

 人は、非凡でありながら平凡でもありたいと思う。

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