ゼークトの組織論
ゼークトの組織論とは?
- 「有能でやる気のない人」は指揮官に。
- 「有能でやる気のない人」は参謀に。
- 「無能でやる気のない人」は兵卒(現場仕事)を。
- 「無能でやる気のある人」はすぐにクビにせよ。
「ゼークトの組織論」とは、上記のような仕事における人材の分類・考え方である。
「有能」を「利口」と表現したり、「クビ」を「殺せ」など表現は様々であるが、いずれにせよ上記のような四つの分類となる。
ゼークトの組織論はドイツの軍人ハンス・フォン・ゼークトの軍事ジョークとされているが、起源は曖昧である。
また社会学・組織論としてしっかり研究・検証されたものではない。
このためゼークトの組織論はあくまでジョーク・考え方の一つに過ぎないが、組織に属した経験がある人には、共感を覚える人も少なくないだろう。
優秀さとやる気での四つの分類
やる気のない有能
優秀であるがやる気がない。こういった人材は指揮官に向いているとされる。
これは「やる気がない」という姿勢を「(楽ができるように)効率的に工夫・改善できるから」と捉えるからだ。
その優秀さゆえに、やる気のない有能は仕事を振るのが上手く、無駄なことはせず物事を効率よく済ませようとする。
このためやる気のない有能は指揮官、つまりリーダーにするのが良いとされる。
やる気のある有能
優秀であるしやる気もある人。こういった人材は参謀や秘書に向いているとされる。要するにナンバー2だ。
優秀でやる気がある人は、その優秀さとやる気ゆえに細やかなことに気づき丁寧に対応ができる。
先述の「やる気のない有能」なリーダーが効率良く物事を進めることと併行して、そこで生じるかもしれないミスや不足な点を見事に気づき、カバーしてくれるだろう。
やる気のない無能
無能なくせにやる気もない。こういう人材は現場仕事や単純作業をやらせるのがいい。
無能でやる気がないということは、自主性がなく指示待ち人間であるということだ。
自分から仕事を見つけたり気づきを持つ姿勢はないし、できる仕事も限られる。
やる気のない無能は良くも悪くも自主性がなく言われなければ仕事をしない。
だからやる気のない無能は言われたことを言われた通りにやるような現場仕事が向いている。
やる気のある無能
無能だけれどやる気がある人。こういう人材は残念ながら仕事に携わらせないほうがいい。
要するにやる気のある無能は空回りして状況をより面倒なことにする。
やる気があるから何かを成し遂げたいと行動するが、無能なのでそれが裏目に出る。
周囲はそういったやる気のある無能のカバーに明け暮れることとなる。
やる気のある無能は、何もしないでいてもらえるのが一番効率的だったりする。
やる気のある無能という存在
ゼークトの組織論で興味深いのは、「やる気のある無能」という人材に対する考え方であると思う。
一見すると、「やる気」も「能力」もない、「やる気のない無能」よりは、「やる気のある無能」はいくらかマシである気がする。
しかし実際は、「やる気のある無能」のほうが質が悪いと考えるのがゼークトの組織論だ。
ゼークトの組織論は、現場の組織に属する人間の苦労を代弁しているとも言える。
「やる気があるだけマシじゃないか」という綺麗事ではなく、「やる気のある無能」に振り回される(あるいは尻拭いをする)現場の人間の苦労。
ゼークトの組織論は、そういった不毛な疲労感への教訓なのかもしれない。
やる気のある無能の例
鈴木は積極性はあるのだが、間違った方向に頑張ることが多い。
佐藤課長はそんな「悪い人間じゃない」鈴木の指導に頭を悩ませていた。
「課長、今年度の顧客リストを新しくしてみました。購入履歴などを整理することで、新しい傾向もわかると思うんです」鈴木は言った。
「ああ、ありがとう」
佐藤課長はその書類に目を通す。膨大なデータを綺麗にまとめてくれている。きっと時間がかかったことだろう。しかし佐藤課長は違和感を拭えない。
「綺麗にまとまっているね。鈴木君、念のためこの書類のデータ自体を見てもいいかな?」佐藤課長は言った。
「はい。これです」
鈴木は自身のパソコンを持ってきてファイルを開く。
「鈴木君、できれば表やリストはWordじゃなくてExcelで作ってくれないかな? ちなみに新しくする前のデータはどれかな? 田中君から引き継いだデータがあるだろう?」
「すみません。新しいデータが出来上がったので古い物は削除してしまいました」