パジャマで朝食を食べることについて

オムニバス(エッセイ風小説)

パジャマで朝食を食べることについて

パジャマで朝食を食べるか、着替えてから食べるか。

 朝起きて、着替えてから朝食を食べるか、パジャマのまま朝食を食べるか。
 人によって異なる生活習慣の一つだと思う。

 私はパジャマのまま朝食を食べることが多くて、例えば朝シャキッと起きて洋服を着替えてから食べる朝の食事風景に憧れを感じたりもする。そういう家庭は総じておしゃれで穏やかで、洗練されて見える。
 そういう家庭はドラマだけの世界なのかなと思う一方で、そういう家庭も世の中には確かに存在しているんだと思う。
 結局のところ、私達は自分の習慣の外にあることは、どこかのフィクションのように感じてしまう。それが実際に存在する物事だとしても。その現実味の足りなさが、習慣を変えられない理由なのだと思う。

着替えてから朝食を食べること

 着替えてから朝食を食べる派の理由の一つは、「みっともないから」ではないだろうか。

 一日の始まりに、ダラダラとパジャマ姿で食卓に着くことはみっともない。この「みっともない」とは、生活にメリハリがないとか、寝るための服でリビングなどあちこち歩きまわるのは清潔ではないとか、いろいろな文脈があると思う。

 いずれにせよ、食卓は家族が集う社交の場であるという意識が背景にあるのではないかと思う。加えて、パジャマというのは就寝する際に着用する服で、部屋着ではないという感覚も伴っているのだと思う。

 朝起きたら、顔を洗って着替えを済ませ、最低限、他人と会える格好をする。その過程の中で身体も眠りから覚め、意識も覚醒する。

 着替えてから朝食を食べる派は、そういった生活のメリハリと丁寧さが日常に溶け込んでいるのではないだろうか。

パジャマのまま朝食を食べること

 着替えずに朝食を食べる派が最初に挙げる理由で多いのは、「合理性」だと思う。

 つまり、万が一朝食を服にこぼしてしまったとき、すでに着替えを済ませていたらダメージが大きいということだ。
 これがパジャマであればどのみち着替えるから手間は最小限で済む。しかしこれが例えば気軽に洗濯できない制服だとかスーツだとすると、ため息を漏らさずにはいられない。
 また小さい子供がいる家庭では、食事のこぼしは日常茶飯事だろう。

 いずれにせよ、朝のバタバタした時間に、着替えて朝食を食べて服にこぼしてまた着替えるということほど不毛なことはないだろう。

 パジャマのまま朝食を食べるもう一つの合理的な理由に、外出までの流れがあると思う。

 多くの人は、仕事や学校に行く前に歯を磨く。つまり洗面所に行くということだ。
 これを踏まえると、朝起きる→朝食を摂る→歯を磨く・顔を洗う→着替える・化粧をするという一連の流れがおのずと出来上がってしまう。
 先述の食事をこぼしたときのリスクも踏まえると、パジャマのまま朝食を食べることはなんとも崩しがたい生活習慣だ。

生活の動線

 パジャマのまま朝食を食べるか着替えて食べるか。
 その習慣を左右するものの一つに家の中での動線があると思う。

 これは個人の偏見だが、着替えてから朝食を食べる派の家庭は、家が広い一軒家で、二階に寝室一階にリビング、家の中をスリッパで歩くような生活をしているところが多い気がする。

 つまり、家の中が比較的広くて寝室から各生活スペースまでの距離があり、生活のメリハリがつきやすいレイアウトになっているということだ。

 もちろん、それ以外の家でも着替えてから朝食を食べる派はいると思う。

 いずれにせよ、パジャマを着替えてから朝食を食べる人は生活に中に、パジャマのまま朝食を食べることが「みっともない」「違和感がある」と思える生活の動線が組み込まれているということだ。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました