ポジティブなとらえ方・物事の見方
同じ物事でも感じ方は人それぞれだ。
同じ物事でもポジティブにもネガティブにもとらえることができるし、それはその人の思考・考え方による。
絶対的な物事は存在せず、多くの物事は相対的なものだからだ。
ネガティブな言い方をポジティブな言葉に言い換えたり、ネガティブな出来事をポジティブにとらえる例を挙げていきたい。
ネガティブをポジティブに変換する
「すみません」→「ありがとうございます」
日本人は挨拶のように「すみません」を言うから、大体の「すみません」は「ありがとうございます」に変換できる。
要するに謝罪の「すみません」ではなく謙遜の「すみません」であれば、「ありがとうございます」という感謝の気持ちに変えてしまっていいのではないか。
自分を下げるのか、相手に感謝するのか。
相手に感謝することは自分の存在を認めることでもある。
もっと悪いことはある
仕事での失敗など、人は完璧でないからいつかなんらかの失敗やトラブルを起こしてしまう。
それは辛いことだし後悔することかもしれない。
けれど、場合によってはもっとひどことだって起こりうる。
失敗や過ちを犯したときは、「この程度で済んでよかった」と思い「では今からどうするか」を前向きに考えるのも処世術の一つだ。
短所が長所のある自分を作っている
「集中力がない」→「物事に興味を示しやすい」
「片付けができない」→「作業に没頭できる」
「社交性がない」→「本音で人と向き合える」
短所と思えることが、実は自分の長所を形作っていることがある。
安易に自分の短所を否定して、無理に治そうとしても、場合によっては長所をなくしたただの器用貧乏になってしまう場合がある。
もちろん、短所を改善しようとすることは大切だ。苦手を克服することは尊い。
しかしながら、どこかで「これも含めて自分なんだ」とありのままの自分を自分が認めることができる心は大切にしたい。
「あなたが悪い」→「私は悲しい・寂しい」
例えば誰かと喧嘩をしたとき、「あなたが悪い」と相手を批判するばかりではなく、「私はああ言われて悲しかったよ」と自分の気持ちを素直に言うことも大切だ。
これは一見ネガティブな言動に見えるが、大切なことだ。
他者を攻撃するのではなく、自分の気持ちを素直に伝えてコミュニケーションをはかること。
それは人間関係において大事なことだ。
私はあんなふうに言われて悲しかったよ。
あんなふうに言ってくれてすごく嬉しかった。
これが私は好きかな。
少し疲れていただけなんだ。そっけなくてごめんね。
誰かや自分の存在を否定するのではなく、ただそのときの感情を素直に伝える。
その根底には人の存在を認めるというポジティブさが必要なのだ。