不幸を避ける方法と幸せであるための方法
不幸の要因と幸せの要因
不幸を避けるためには、数値化できるものを手に入れていくといい。
数値化できるものとは、お金や可処分時間、健康診断の数値などだ。
こういったものを高める・手に入れることで人生に降りかかるある程度の不幸は軽減できる。
幸せであるためには、数値化できないものに価値を見出していくといい。
数値化できないものとは、友達との時間や家族への愛情、今ある日常の尊さに気づくことだ。
自分の日常や人生にかけがえのない「物語」を見出すことで、人と比べることでは得られない自分の人生の幸福を感じることができるだろう。
不幸を避けるための数値化される価値
例えばお金があれば幸せとは限らないが、お金によって多少の不幸を避けることができる。
お金があれば嫌な仕事はしなくていいし、面倒な事(お店の列に並ぶ、飛行機の割り安チケットを探す、タクシーではなく電車を使う)をお金で解決できることもある。
学力はあるけれどお金がないから行きたい大学に行けない、という事態も回避できるだろう。
数値化できるものはお金だけではない。
可処分時間があれば時間のなさでストレスを溜めることもないかもしれない。
健康診断の数値が良いことは、予測される病気を回避できるかもしれない(もちろん突発的な病は避けられないが、それはまた別の話だ)。
人の幸せは数値で語ることはできないが、数値化できるものをヒントに不幸を避けることはできるかもしれないのだ。
幸せであるための数値化できないもの
数値化できないものは理屈を超えて人を幸せにしてくれることがある。
意中の人に告白した時に聞くイエスという返事。
親友と遊ぶ心躍る時間。
愛する人と共に生きる日々。
健やかに成長していく我が子。
日常で自分が他人にしたささやかな親切と、それに対する相手の「ありがとう」という言葉。
休日の朝にゆっくりと飲むコーヒー。
挙げればキリがないが、そのような数値化できないものはその人の人生や心の根幹を支えてくれる。
不幸と幸福の共存
不幸であることと幸せであることは必ずしも対極ではない。
そもそもこれらは併存することの方が人生では多い。
例えば今日、あなたは会社で突然解雇されたとする。
(それが絶対的な不幸かどうかは置いておいて、少なくとも)あなたの気分は沈み、不幸を感じながら家路につくだろう。
その自宅には愛する配偶者と子供がいるとする。
あなたは「会社を解雇された」という不幸を感じるかもしれないが、同時に「愛する家族がいる」という幸福な人間でもある。
このように、人生は多面的で多くの場合は不幸と幸福が共存している。
不幸であるから自分の日常に幸せがないとは限らないし、幸せだから不幸の種がないとも限らない。
だから大切なのは、不幸の中で幸福を見つめることができる切り分ける力なのだ。
私達は数値化できるもので不幸を避けることができることを認めながら、それだけでは人生は完結しないことも理解する。
私達を幸せにするものは、例えば今すでにある日常であり、それは些細だが偉大なものなのだ。
私達は、多面的で多様で、一口では捉えられない世界で生きている。