シュレーディンガーの猫のような猫
少年は小学校の下校途中に一匹の黒猫と出会った。
「君は人の運命は決まっていると思う?」黒猫は言った。
「どうだろう」少年は言った。
「君の人生は、すでにどういう結末になるか決まっていると思う?」黒猫は聞いた。
「どうだろう。僕がこれからどういうふうに生きるかにもよるとは思うけれど」少年は言った。
少年と黒猫は通学路にある空き地で会話をしている。空き地は雑草が生い茂り、買い手は一向に見つかっていないようだ。
「あそこに箱があるだろう?」
黒猫はそう言って空き地の隅にある古びた木箱のほうを見た。木箱は黒猫がちょうど収まるくらいの大きさだった。
「あの箱に入るとね、二回に一回は死んでしまうんだ。僕はあの箱に入って一晩ぐっすり眠ろうと思う。僕が生きているかどうか、明日見に来てほしい」黒猫はそう言って木箱に入っていった。
次の日、少年が木箱を開けるとそこには気持ちよさそうに寝息を立てている黒猫がいた。蓋が開いたことに気づいた黒猫は、眠たそうに言った。
「やあ。僕は生きているね」黒猫は言った。
「そうだね」少年は言った。
「僕は一晩生きていたのかな?それとも一度は死んだのだろうか」
「そんなわけないじゃないか」
「また明日、僕を起こしに来てくれるかい?」黒猫は言った。
また次の日、少年が木箱を開けるとそこには黒猫がいた。しかしもう息はしていなかった。黒猫は死んでしまったのだ。
「黒猫は死んでいるわね」
少年の後ろには白猫がいて、白猫は少年にそう言った。
「そうみたいだね」少年は言った。
「あなたが箱を開けなければ、黒猫は死ななかったのかもしれないわ」白猫は言った。
「それは無理があるよ。僕が箱を開けようが開けまいが、黒猫は死んでいた」
「きっと黒猫は、箱の中で生きている状態と死んでいる状態が混ざり合っていたの。あなたが箱を開けた瞬間に、黒猫の運命は決まったの」
「生きることと死ぬことは混ざり合ったりしないよ。僕が箱を開けようが開けまいが、昨日は黒猫は生きていたし、今日黒猫は死んでいた。箱の中の出来事と、箱を開けることは関係ないよ」
「箱の中の運命は決まっていて、あなたはその運命を確認しただけだと?」
「うん」
「あなたは自分の人生が決まっていると思う?」
「どうだろう」
「あなたの人生が決まっているなら、私はあなたの運命を見ることができるわ」
白猫はそう言って少年の未来を細かく語り出した。
そして少年は大人になった。大人になった少年は、あの日白猫が言った人生と同じ人生を送っている。少年は平凡な大人になり、凡庸な人生を送っている。子供の頃に見た夢は叶うことはなく、子供の頃は思い描かなかった理不尽な人間関係に悩まされている。仕事で失敗をすることもあれば、情けない醜態をさらすこともあった。大学生の頃はそれなりに青春を楽しんだが、その頃に見下してたサラリーマンに少年はなっていた。
そのような人生に(少年は白猫から未来を聞いていたのだから)抗おうとしたこともあったが、結局は白猫が言う通りの結末になっていた。何度となく何を試みても、結局少年は白猫が言った通りの未来を生きている。
「二つの出来事が混ざり合わないということは」大人になった少年の前に、再び白猫が現れた。
少年が大人になっても、黒猫と出会った空き地は空き地のままだった。
「出来事がすでに決まっているということは、そこから全ての運命が予測できてしまうということ。私達は自分の人生が自分の行動によって多少なりとも変化すると思っている。でもそれは箱の中の生と死を、蓋を開けるという行動によって変えることができると思うことと一緒なの。大人になったあなたは、あなたの人生という箱の蓋を開けて自分の人生を確認したにすぎない。それはすでに決まっていて、あなたが蓋を開けようが開けまいがどんな人生かは決まっていた。黒猫の箱を開けたとき、あなたが私にそう言ったようにね」白猫は言った。
「そうかもしれない」大人になった少年は言った。
「あなたは運命を変えたい?」
「どうだろう。けれど、自分が何をしようとも、自分の人生は元から決まっているというのは、少し寂しくはあるかもしれない」
「世界は、運命が混ざり合っているのかもしれないわ。それは見てみるまでわからない」
「そうだといいけれど」
「箱を開けてみて」
白猫はそう言って、木箱の方を向いた。大人になった少年が木箱を開けると、そこには黒猫がいた。
「やあ」
蓋が開いたことに気づき、黒猫はそう言った。気づくと少年は子供に戻っていた。黒猫が木箱に入った二回目、あのときの時間に戻っていた。そして白猫の姿はなかった。