SDGsやESGとグリーンウォッシュの意味や違い

オムニバス(エッセイ風小説)

SDGsやESGとグリーンウォッシュの意味や違い

SDGsやESGとグリーンウォッシュ

 SDGs(Sustainable Development Goals)とは「持続可能な開発目標」という意味だ。
 例えば顕著な環境汚染を行いながら途上国の人材を奴隷のように働かせて物を生産することは、決して地球や人類にとって「持続可能なこと」ではないだろう。それらはいつか限界がくる。
 そうではなくて地球や社会や人に優しく「持続可能な」形で物事に取り組むことをSDGsと言う。

 ESG(Environment・Social・Governance)とは、企業が地球や社会や人に優しい取り組みをしていることを指す。
 例えば原材料にエコな素材を使ったり、地球環境に配慮した事業を行うことだ。

 SDGsとESGの違いは、SDGsが人類全体に関わる大きな概念であるのに対し、ESGは企業に対する方針・取り組みである点だ。
 「Governance」という言葉が示すように、ESGは企業側に環境保全や社会貢献について姿勢や自浄作用を暗に求められる。

 グリーンウォッシュとは端的には「環境に優しいと見せかけること」だ。
 SDGsやESGに配慮していると見せかけて、実際には(それが故意でも過失でも)やっていないということを指す。
 例えばエコな素材を使っていると謳っていながら、実は使っていない。あるいはその素材は実際にはエコではない。などがある。

グリーンウォッシュの問題

 グリーンウォッシュの背景には、やはり営利とエコは時として矛盾するという現実がある。

 地球に優しい、人に優しい物や価値を生み出すことは尊いが、それが必ずしも売り上げに直結するとは限らない。

 営利とエコの矛盾に蓋をすることで、グリーンウォッシュというエコの形骸化が生まれるのだろう。

心の豊かさ

 SDGsもESGも、エコも環境への優しさも、結局私達はそこに「自分自身のある程度の余裕」がないと許容できないのだと思う。

 そして環境や社会のことを何かを犠牲にしてまで考える人は世の中の一部であり、大半の人はそこに別の付加価値がないと行動に結びつかない。

 要するに、「おしゃれなエコ」は好きだが「貧乏くさいエコ」は嫌いなのだ。
 「先進的なSDGs」は好きだが「文明の便利さを捨てること」は受け入れがたい。
 エコではないかもしれないが、ブランド物の服をブランドの紙袋に入れてもらうことへの高揚は否定できない。

 もちろん私達は、過剰な豊かさに興ざめすることだってある。
 成金のような豊かさは、豪勢かもしれないがどこかダサいと思う感覚もあるだろう。

 その線引きの価値観は時代の中で変わっていく。
 どこまで地球や人への優しさを優先するか、どこまで生活の豊かさや便利さを優先するのか。
 何をおしゃれと考えるか。何を先進的と考えるか。

 私達は(好ましいことではないが)そういうものに踊らされることがある。

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