「すみません」ではなく「ありがとう」を言う

オムニバス(エッセイ風小説)

「すみません」ではなく「ありがとう」を

幸福な言葉を

 「すみません」ではなく「ありがとう」を使う。
 丁寧に生きていくことを志すときに、よく言われる考え方だ。

 誰かに支えられたとき、「すみません」と謝罪するのではなく「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える。
 相手を思う気持ちは同じでも、「すみません」より「ありがとう」のほうが互いに幸福になれるはずだ。

自分の気持ちを伝える

 例えば会社で仕事を手伝ってもらったとき、「すみません」と言う。
 相手に労力を使わせたことに対しての「すみません」だ。間違った使い方ではない。
 けれど、「ありがとうございます」という言葉に置き換えてもいいはずだ。

 ごめんなさい。すみません。申し訳ありません。
 謙虚であることは大切だ。けれど可能であるなら、もう少し違った言葉を使ってもいいかもしれない。

 ありがとうございます。嬉しいです。助かります。
 誰かの優しさで自分が幸福になっていることを伝えることは、相手も幸福にするかもしれない。

便利な「すみません」

 「すみません」は便利な言葉だ。いろいろなシチュエーションで使える。
 とりあえず「すみません」と言っておけば、だいたいの場所はそつなくこなせることが多い。

 そういう便利な「すみません」と、心から謝罪する「すみません」はまた違うだろう。

 便利なすみませんはどこでも使いやすい。だからついつい、いろいろな言葉を「すみません」で済ませてしまいがちだ。

 それは食べ物で言うところのファストフードに似ているかもしれない。
 便利で手軽だが、栄養が偏ってしまう。
 便利な「すみません」ばかり使っていると、心が偏ってしまう。

自分に対する「すみません」と「ありがとう」

 ポジティブな言葉を使う人はポジティブになるらしい。
 ネガティブンな言葉を使う人はネガティブになるらしい。
 人は幸福だから笑うのではなく、笑うから幸福なのだという。

 便利な「すみません」ばかり使っていると、心が偏ってしまう。
 相手に対する「すみません」は、いつしか自分に対する「すみません」になってしまう。
 自分の存在に対して「すみません」と思ってしまう。

 私達は、自分や他者の命に、存在に、敬意を払うことが大切だ。
 自分の人生や相手の人生に敬意を払うこと。尊さを感じること。
 それが幸福にきっとつながっていく。

 自分に対して「すみません」を言うことはわりと簡単で、自分に対して「ありがとう」を言える人は意外と少ない。

 自分が生きていることに、「ありがとう」と言えることはきっと尊く、大切なことだ。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました