アスファルトの上のクワガタ

オムニバス(エッセイ風小説)

アスファルトの上のクワガタ

命に立ち止まる朝

 朝、通勤のために僕がマンションを出ると、アスファルトの道にぽつんとクワガタがいた。

 そもそもクワガタは動きが少ない虫だと思うが、だとしてもそのクワガタは少し弱っている気がしたし、疲弊している気がした。
 クワガタは少しだけ前に進もうとしているが、この道をどれだけ進んだところで、このクワガタが求める樹液はないだろう。

 僕が住んでいるマンションの隣には公園がある。もしかしたらその公園から何かの拍子にここまで来たのかもしれない。クワガタが単独で移動したのかもしれないし、公園の木々を整える業者の軽トラックに紛れ込んだのかもしれない。
 いずれにせよ、クワガタの大きさからすれば、公園までの道は果てしなく遠い。このクワガタがこうやって進んでたどり着けるとも思えない。

 僕がすべきことは簡単で、要はこのクワガタを公園に運んであげればいいのだ。しかしそれは難しいことでもある。今の僕は通勤途中で、公園は僕が向かう電車の駅の真反対の方向だ。時間にルーズな僕は時間に余裕がなく、おそらく公園まで行っていたら電車に間に合わないだろう。

 僕は結局、クワガタに何も介入しないまま駅へ向かった。

それだけでいい人生

 電車に揺られながら僕は考える。
 こうやって社会の歯車として会社に行くことと、クワガタの命を救うこと。どっちが大切なことなのだろう。
 目の前のクワガタ一匹救えない僕の日々は、なんだかとても些細なものに感じた。

 クワガタ一匹の命は、確かに僕の毎日に直接的な影響は少ないかもしれない。
 けれど、そういう命を前にして、立ち止まれることが人生の豊かさである気もした。

 クワガタを放っておいて電車に乗っている僕は、幸せなのだろうか。
 たぶん、幸せなのだと思う。僕はあのクワガタのように、今日の食べる物の心配はしなくていい。突発的な何かが起こらなければ、基本的には同じ日々の繰り返しの中で生きることができるのだから。

 けれど一方で、そういう自分の人生がとてもちっぽけで、どうでもいいもののような気もする。

 お金とか仕事とか将来の蓄えとか社会的信用とか常識とか、生きていく上で必要と思えるものは多い。

 けれど、例えば、目の前で弱っているクワガタがいたら、公園まで運んであげる。その過程で土や木を触って僕の手やスーツは汚れるかもしれない。

 目の前の命に立ち止まれること。人生はそれだけでいい気もするのだ。

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