1分ショートショート「泣ける話、無料」
泣ける話、無料。
思い返してみれば、僕は仕事ばかりで子供との時間を過ごせてなかった。
そういうことは、時間が過ぎてしまった後に気づくのだから、皮肉なものだ。
「あの子、最近『パパと遊びたい』って言わなくなったのよ」
妻にそう言われたとき、娘にとって僕は「いつも仕事でいない人」になっていたのだと気づいた。
「今日は久しぶり、家族で出かけようか」僕はある日の日曜日、そう言った。娘はとても嬉しそうだ。
どこにでもあるショッピングモールで、子供と手をつなぐ父と母。どこにでもある風景だが、それは幸せなことなのだ。そして幸せな時間は、後回しにしてはいけない。
「お腹空いたね。何か食べようか」僕は言った。
「私ここがいい。『今ならドリンク無料』って書いてあるもん」
娘はそう言った。どうやら貧しくて親が働き詰めの家庭では、親の影響で子供が「無料」に反応するらしい。泣ける話だ。
泣ける話、器量。
器量とは才能とか、それを持つにふさわしい器の大きさのことだ。
そう言う意味で、私は母親としての器量に欠けるかなと思っている。
娘から折り紙をしようと誘われるのだが、正直子供の遊びはおもしろくない。付き合っているとだんだん眠気が来る。
「ママ折り紙あんまり得意じゃないの。だからまた今度ね」
ある日の私はそう言った。
最近仕事が忙しい。保育園に迎えに行く時間もギリギリで、先生に頭を下げてばかりだ。
料理はあまりうまくない。本当はもっとこだわったものを子供に食べさせたほうがいいと思っているのだが。
今日は上司に怒られた。仕事の進め方が上司は気に入らなかったようで、理不尽なことを言われた。疲れた身体で保育園に迎えに行って、買い物を済ませて、やっと家に着いて。玄関で気が抜けて乱暴に買い物袋を置いてしまった。そのせいで買った卵が割れた。
いろいろ、疲れたな。
一旦そう認めてしまうと、涙が目に溜まる。私は全然うまくやれてない。そう思った。
「ママ、大丈夫? 今日はママが好きな遊びしよっか」
涙目の私を見て、娘は言った。ああ、そっか。子供はお見通しなんだな。
「ありがとう。じゃあ、お母さん、折り紙教えてほしいな」
私はたぶん、前よりも、折り紙が好きになれる気がした。私は一人じゃないと感じるから。
泣ける話、医療。
医者というのは人の涙を見ることが多い仕事だ。
人の生き死にに関わり、大切な人の死で涙を流す人を目の当たりにする。
この仕事を選んだときからそれはわかっていた。それは仕方のないことだと。わかってはいたけれど、やっぱり実際に人が泣いているところを見ると心にくるものがある。
ベッドの上で静かに目を閉じている男性は鈴木さんといって、僕が担当した患者さんだ。鈴木さんの奥さんと娘さんは、ベッドの横で泣いていた。
鈴木さんの病を告知したときも、奥さんは泣いた。娘さんは強がって無表情だった。娘さんは高校生くらいだろうか。思春期の娘。当たり前だけれど、それは要するに強がりだ。ため込んでいたものが溢れるように、今は娘さんも泣いている。
「手術は成功しました。あとは安静にしていれば、時期に目を覚ますと思います」僕は言った。
奥さんと娘さんはありがとうございますと、涙を流しながら言ってくれた。
医者というのは人の涙を見ることが多い仕事だ。
人の生き死にに関わり、大切な人の死で涙を流す人を目の当たりにすることは多い。
けれど、できることなら、助かった命に対する喜びの涙を、たくさん見ることができたらいいなと僕は思う。