夏休みの宿題を31日(最終日)にやるタイプの人間

オムニバス(エッセイ風小説)

夏休みの宿題のやり方

夏休みの宿題とその人の性格

 夏休みの宿題をどのようにこなすかは、その人の性格が如実に表れる。
 大きくは、夏休みの宿題を早めに(七月中あるいは八月の前半)終わらせるタイプと、八月三十一日間際になって取り掛かるタイプに分かれる。

 もっとも、これは昔話かもしれない。
 そもそも最近の子達は夏休みの最終日が三十一日でない学校も多い。
 また共働きの多い現代では、夏休みでも朝から学童に行く子が多い。学童に行けば、好む好まざるに関わらず(少なくとも家よりは)宿題をする環境になる。
 そして登校日に宿題の一部または全部を提出させる学校もある。

 いずれにせよ、今の子供達は夏休みの宿題に関して周囲の大人の目が多い。
 夏休みの宿題の責任を子供が全て負っていたのは、過去の時代の話だ。

 だからこれは過去の時代の話だ。

夏休みの宿題のタイプ

 夏休みの宿題のやり方には、二つのタイプがある。
 早めに終わらせるタイプと、ギリギリになって終わらせるタイプだ。

 早めに終わらせるタイプは非常に計画的だ。
 大抵は七月にほとんど終わっており、八月前半には終了。あとは観察日記など時間が経過しないと取り組めないものだけになっている。お盆も楽しく過ごしている。
 こういうタイプのすごいところは、残った日記も手堅くしっかり終わらせることができる点だ。
 要するに、宿題が早く終わるのは結果論で、その根底には強力な学習習慣が形成されている。
 やっつけで宿題をやっているのではなく、毎日の日課の中に学習をする時間が組み込まれている。

 そういうタイプのところは総じて親も子供も上品で賢そうだった記憶があるが、あくまで私の偏見だ。
 ちなみにここで言う上品とはお金持ちということではない。文字通り品があるということだ。
 物の扱い方や言葉のチョイス、給食の食べ方に一線を越える幼稚さがない。

 そしてもう一つのタイプ。
 ギリギリになって宿題を終わらせるタイプだ。
 七月はまだ余裕と遊びまわり、お盆は宿題が終わっていない不安を頭の片隅に抱きながらやはり遊ぶ。そして八月の最終週。ここで大きく慌てて動き出す。しかしこの一週間でも半分は終わっていない。結局このタイプが宿題の大部分を処理するのは八月三十一日、夏休み最終日だ。場合によっては周囲に手伝ってもらうケースもある。
 いずれにせよ突貫工事で、日記や自由研究は明らかに雑さが目立つ。

夏休みの宿題の第三のタイプ

 では私はどういうタイプだったのか。
 私は夏休みの宿題について、第三のタイプだった。
 つまり、最終日付近に慌てて取り組み結局終わらないタイプだ。
 このタイプは私以外にも一定数存在するはずだが、意外と公にはタイプ分けされない。

 七月は余裕があって調子に乗り、八月半ばから不安を感じるものの結局後回しにする。
 そして最終日の三日前ほどから腰を上げる。けれど、どこかに「最終日になんとか終わらせた自分」を思い描いておりそれが甘えにつながる。そして宿題が結局終わらないまま九月を迎える。

 要するに真面目だが無能というやつだ。
 宿題が終わっていないことに対して開き直ることができればまだ気持ちは軽いのだろうが、それもできない。宿題が終わっていないがゆえに怒られるのではないかという不安。そのくせ宿題に早めにとりかかる行動力はない。そして結局終わらせられない。そのことにも開き直れない。「宿題、間に合わなかった。へへへ」とお茶らけてみんなに慕ってもらえるキャラでもなく、単純に、シンプルに、宿題が終わっていない。情けないし、自分自身も情けなさを感じている。私の夏休みの宿題は、そんな私を表している。

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