人によって言葉の重みは違うから

オムニバス(エッセイ風小説)

人によって言葉の重みは違う

言葉の重み

 人によって言葉の重みは異なる。

 言葉の重みとは、その人がどのような思いで、どのような覚悟で、その言葉を言うかということだ。

 例えば「嬉しい」という言葉を社交辞令で言う人もいれば、心の底から言う人もいる。

 私達は同じ言葉でも、そこに重みを伴って言うときとそうでないときがある。

言葉の重みと正しさ

 言葉に重みがあれば常に正しいかというとそういうわけではない。

 私達は人によって言葉によって、そこに伴う重みが異なる。
 考え方が異なる別々の人間だから、それは当然のことだ。

 問題なのは、同じ言葉で重みが異なる場合、人間関係がすれ違うということだ。

 自分は本心で言った言葉に、相手が社交辞令を言うと、なんとも虚しいものだ。
 相手が「また会おうね」と言って自分はそれを期待しているのに、相手にとってそれはただの社交辞令であったのなら、それはなんとも虚しいものだ。

 相手からしても、社交辞令を本気されたら、「重いな」と思ってしまうだろう。

 どちらが正しいのではなくて、人間関係は言葉の重みが同じ人と付き合ったほうがすれ違いが少ないということだ。

死ぬという言葉

 その人の言葉に対する重みが端的にわかる言葉の一つに、「死ぬ」があると思う。

 世の中には、「死ぬ」とか「死ね」といった言葉を簡単に使う人がいる。
 一方で、「死ぬ」とか「死ね」とかいった言葉は最も口にしてはいけない言葉の一つと捉える人もいる。

 もちろん、そういった言葉を口にする人も、本心から自分が死のうとか他者を殺そうと思っているわけではない(中には本当に思っている人も一定数はいるかもしれないが)。
 だから単にその言葉を一種の象徴として言っているだけだ。
 自分が傷ついたという意志表明に、相手を嫌悪しているということを端的に表すために便利な言葉。そういう認識で「死」という言葉を使っているだけなのだ。

言葉の重みと人間関係

 言葉の重みが同じ人と付き合うほうが、人間関係のストレスは少ない。

 自分にとって慎重に使う言葉を、相手が軽率に使うとストレスになる。
 逆に自分は気楽に使った言葉を相手が重く受け止めすぎると困ってしまう。

 言葉は価値観や文化によって異なる。同じ母国語であってもだ。
 だから私達は同じ言葉の重みを持てる人と付き合ったほうが、心にぴったりとくるコミュニケーションが取れるだろう。

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