「言ってもしょうがない」が人の心を損なわせていく
言ってもしょうがない。
この言葉が自分の中に積み重なっていくことで、人の心は壊れてしまう。
言ってもしょうがない。
言ってもわからない。
言っても変わらない。
そういう諦めは時として肝心だ。人生の処世術とも言える。
けれどそれは一時的な理不尽に対する一時的な防衛策でしかない。
言ってもしょうがない人間関係に長く身を置きすぎると、人の心はすり減っていく。
自分の思いが無視され、自分の言葉が意味をなさず、自分の心が別の方向を向いている。
それはとても悲しいことだ。けれど「言ってもしょうがない」を繰り返していると、その悲しさにも自分で気づけなくなる。
「言ってもしょうがない」を繰り返していると、いつしか自分の心の声も見ないようになってしまう。
他人に対する「言ってもしょうがない」が、いつしか自分に対しての「言ってもしょうがない」になってしまう。
自分の考えなんて言ってもしょうがない。
自分が何かを思ってもしょうがない。
自分の心なんてどうでもいい。
自分なんてどうでもいい。
言ってもしょうがないという無力感は、いつしか自分の存在を軽んじる感覚になってしまう。
「自分が言ってもしょうがない」が、「自分が居てもしょうがない」になってしまう。
だから言ってもしょうがないと思ってしまうこと、そういう人間関係とか組織の中にいることは、とても悲しいことなんだ。
もちろん人と人とは違う。
言っても人は変わらないことの方が多いし、それがほとんどだ。
けれど違いを認め合える人となら、たぶん悲しい気持ちの「言ってもしょうがない」は言わないだろう。
虚しさとか、悲しさとか、うんざりした気持ちで「言ってもしょうがない」と言っているとき、たぶんあなたの心はその環境を望んでいない。
自分の心に嘘をついた「言ってもしょうがない」は、自分の心を消耗してしまう。
だからあなたの言葉が届く場所、あなたの思いが届く時間、あなたの心が無視されない環境に目を向けることが大切なんだ。