わからないことの種類と向き合い方

オムニバス(エッセイ風小説)

わからないこと

わからないことの種類

 わからないことには二種類あると思う。

 一つは勉強したり調べたりすればわかること。
 そしてもう一つはそもそも答えがないことだ。

 この「調べればわかること」と「調べてもわからないこと」を混同しないことが重要だと思う

調べればわかること

 「調べればわかること」を「わからない」の一言で片づける人は多い。
 「自分が知らない」「自分がわからない」を「誰も知らない」「誰もわからない」にしてしまっている。

 あるいは、自分が知らないのに知ったような言い方をする「知ったかぶり」もある。

 調べることも学ぶことも考えることも手間ではあるが、そこで「知ろうとすること」をやめてしまっては話はそこで終わってしまう。
 知ることや学ぶことに腰が重いなら、せめて「教えてもらうこと」に謙虚でなくては、その人は誰かと何かを共有することは難しいだろう。

調べてもわからないこと

 世の中にはそもそも「わからないこと」もある。
 「私」や「あなた」がわからないのではなく、人類が「わかっていないこと」だ。

 こういう調べてもわからないことを、正直に「わからない」と認めることも大切だ。

 人は答えを求めたがる。
 けれど、わからないことに無理に答えを貼り付けてもそれは真実ではない。

 世の中には、わからないことが多い。

わからないことを前にして

 わからないことがあったときに、それが「私がわからないこと」なのか「人類がわからないこと」なのか考えることは大切だ。

 「私がわからないこと」であれば、調べればいい。そこに答えはあるだろう。
 あるいはそれが非常に複雑で壮大で専門的な知識が必要なものであれば、詳しい人に教えてもらうのが良いだろう。

 「人類がわからないこと」であれば、「わからないこと」と認めればいい。
 そして「わかったような答え」に注意したらいい。
 世の中には、「答えを与える」という甘い誘惑が多いからだ。

 わからないことにどう向き合うか。それは人生と向き合うことでもあるのだ。

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