無能な上司の下で働くとき、私達はどうしたらいいか。

オムニバス(エッセイ風小説)

会社の老害と加速主義

組織の中で

 例えば会社の中で、老害と呼ばれる上司がいるとする。
 変化が起きず、慣習に縛られ、組織の風通しは悪い。
 上司は働かず、能力のある若手は不遇の扱いを受ける。
 このような会社の中で、私達はどのようにしたらいいだろうか。

 会社に不満があるときに一番最初にすべきことは転職活動で、良い転職先が見つかれば転職することだ(くれぐれも、辞めるのは転職先が見つかってからだ)。

 人を変えることは難しい。自分を変えることの方が幾分マシだ。
 だから嫌いな上司、馴染めない組織、うんざりする会社。
 そのような場所で働いていて変化を求めるなら、転職したほうが早い。

 しかしながら、簡単には会社を辞められない事情があるかもしれない。
 あるいは、上司は嫌いだが、同僚や先輩はいい人だなと思う場合。
 そういうときの思いはもっと複雑だ。

 ダメな上司は優秀な社員を正当に評価しない。
 優秀な社員は辞めていき、ますます組織の風通しは悪くなり、無能な上司の思い通りになる。
 自分が辞める・辞めないと言った単純な話ではなく、腐敗してくと感じる組織に対して自分ができることをしたいという気持ち。

 青臭い考えとは百も承知で、「この組織を良くしたい」と思うとき、私達はどうしたらいいのだろうか。

加速主義の中で

 組織を変えていきたいと思ったとき、方法の一つは組織や上司に落ちるところまで落ちてもらうことだ。

 人が人を変えることは難しい。人は歳を重ねるほど自分の考え方を変えるのは難しい。
 組織の変革を無理に推し進めるより、助け舟を出さず傍観し、無関心に努め、落ちるところまで落ちてもらうのは一つの手かもしれない。

 無能な上司はできるだけ放っておく。無関心は反発より時として人を孤独にする。

 たとえ権力があっても、人がついてこない人間のそれは長続きはしない。

いずれ基準になるであろうシステム

 無能な上司に落ちるところまで落ちてもらうのを待つのは、時間がかかるし能動感が得られないかもしれない。
 つまり、「組織を良くするために自分が何をしているか」という手ごたえを得られにくい。
 もっと私達にできることはないのだろうか。

 私達が組織でできることは、自分と考えが同じ人と信頼関係を作りコミュニティを作り、水面下で「時期にスタンダードになるであろう新しい基準」を作っていくことだ。

 上司に声高らかに異議を唱えたり、反発することもダメではないが、そういうものは徒労に終わることが多い。なぜなら無能な上司は考えが凝り固まっているから無能なのだ。

 そうではなく、もっと自分にできることを着実にと思うなら、したたかに淡々と自分にできることをしないといけない。

 組織に不満を持つのは自分だけじゃない。そういう声を集め、新しい価値観と基準を作っていくことが大切だ。
 そういうコミュニティを作れる力は、仮に自分が転職したときも役に立つだろう。

 ルールの穴をうまく使い、自分達のコミュニティが力を持てるシステムを水面下で作っていく。
 そのシステムが上司が干渉できないほど大きくなれば、それが今度は基準となるだろう。

 大切なのは、自分にできることで自分のできる範囲を広げていくことなのだ。

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