愛とは?
愛とは慈しんだり尊く思う感情であり、
愛するとは何かを大切に思うことで自分が救われることだ。
そのように思う。
もちろん、愛を唯一無二の定義で語ることができる人間なんていない。
私にとっての愛は他の誰かにとっての愛ではないし、他の誰かの愛は私にとっての愛でないかもしれないのだ。
それでも私は私にとっての愛を、一種の尊さであると考えている。
愛の対象と形
恋人への愛
人が何かを愛するとき、その対象は様々だ。
その中でおそらく最も多くの人が意識するのが、恋人に対する愛、恋愛に対する愛ではないだろうか。
誰かを好きでいること。胸が張り裂けそうな気持ち。
恋愛は自分の心を揺れ動かす。
我が子への愛
自分の子供への愛も、多くの人が思い浮かべる愛の形の一つだろう。
それは家族愛とも関連する。
家族への愛は、おそらく恋愛における愛とは少し違う気がする。
命への愛
家族や恋人でなくても、大切な人を愛することもできるはずだ。
それは親友かもしれないし、お世話になった大切な人かもしれない。
ペットかもしれないし、草花かもしれない。
要するに、自分以外の命を愛するということだ。
概念への愛
命に対して向けられるもののみが愛というわけではない。
きっともっと抽象的な、概念に対する愛もあると思う。
巡る季節の情景に愛おしさを感じたり、世界を愛する人だっているだろう。
自分の大切にする信念や思想も、一種の愛だ。
愛するということ
何かに対して尊さを感じること。大切に思えること。
そういう気持ちを通して、自分が救われることがある。
そういうものが愛なのではないかと、私は思う。
もちろん愛は悲しみを伴うときもあるかもしれない(例えば失恋のように)。
愛することで苦しむこともあるかもしれない(例えば片想いのように)。
愛は思い通りにならないかもしれない(例えば我が子の成長のように)。
唐突に終わりを告げられるかもしれない(例えば死別のように)。
無力かもしれない(自分と世界の対比のように)。
そして愛することをもうやめようと思うこともあるかもしれない。
けれど私達は愛について考えてしまう。
生きていく上で、何かを好むこと、何かを大切に思うこと、何かを心で反芻すること。
それは幾分、自分の生き方を明確に、実感のあるものにしてくれるかもしれない。
愛はきっと、私達に生きていくことの輪郭のようなものを与えてくれている気がする。