自由とはなんだろう?|幸せな自由と不自由

オムニバス(エッセイ風小説)

自由とは?

 自由とは、何かに縛られていないということだ。
 しかし同時に、人はなんでもかんでも自由であれば、そこに迷いや負担を感じる。

 ちょうど計算ドリルは早めに終わっても、自由研究で行き詰まる夏休みの宿題のように。

 人が望む自由とはたぶん、心地良い不自由の中にある主体的な選択肢のことだ。

自由の定義

 ある人が時間に余裕がないのであれば、自由な時間があることがその人にとっての自由かもしれない。

 ある人にお金がなければ、お金を自由に使うことができるのがその人にとっての自由なのかもしれない。

 ある人に友人や恋人がおらず、孤独を強く感じるなら、人間関係の自由がその人にとっての自由なのかもしれない。

 ある人が周囲を気にして言動を制限されているのなら、思ったことを言って思ったように行動することがその人にとっての自由なのかもしれない。

 何に縛られているかは人それぞれだ。
 だから何が自由かもきっと人によって違う。

 そして自由は相対的なものだ。

 時間に余裕がある人は、時間の自由とありがたさに気づきにくい。
 お金も人間関係も言動も同じだ。

 何かに縛られたときに人は自由に気づき自由を求める。

本当の自由とは?

 人はしばしば本当の自由とは何かということを考える。
 たぶん、自由であることが必ずしも幸せであるとは限らないからだ。

 幸せの定義が人によって異なるように、自由は幸福を約束してくれるわけじゃない。

 なんでも好きなようにできるからといって、幸せとは限らない。
 時間があってもお金を求める人もいる。お金があっても時間を求める人もいる。
 時間やお金があっても人間関係を求める人もいる。これらがあっても人生に意味を求める人もいる。

 自由であることが幸せとは限らない。
 だから不本意に何かに縛られること、つまり不自由であることが不幸せとも限らない。

自由と幸せ

 幸せにつながる自由とは、不本意な不自由さがないことであり、主体的な選択肢があるということではないだろうか。

 私達は全ての物事を一から全部選択すると疲れてしまう。
 誰しも、特定の何かについては周りが決めておいてくれたほうが楽だということがある。

 決めることや選べることが常に幸福とは限らない。
 私達が自分の心で選択できる物事は限られている。
 無限の選択を全て適切に行うことは難しいし疲れてしまうしきっと幸せとは直結しない。

 だから私達は時として不自由を求める。

 単品メニューを複数選ぶより、セットのランチを頼んだ方が楽しめることがある。
 観たい映画はおすすめランキングから選んだほうがはずれが少ない。
 小難しい税金の手続きは、会社や税理士にやってもらうと楽だ。

 私達は誰かに決めてもらったり、すでに決まっていることから選んだり、自ら選択を放棄することがある。そうすることで、自分の人生の負荷のようなものを減らしている。

 そんな整然とした不自由の中にある自由は愛おしい。
 面倒なことは決めてもらって、楽しい選択は自分で選びたい。
 私はきっとわがままだし、人間の多くはわがままだ。
 それが正しいかどうかは別として。

 人の幸せにつながる自由が、不自由さの中にあることがある。

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