不信の停止
不信の停止とは?
「不信の停止」は「積極的な不信の停止」とも言われる。
「不信の停止」とは、物語に触れる際に過度な不信感・批判的思考は避けるべきであるという考え方である。
要するに「野暮なツッコミはするな」ということだ。
物語の設定や世界観について重箱の隅をつつくような批判は避ける。物語を素直に受け止め没頭することが、フィクションを楽しむ上での作法であるということを示唆している。
不信の停止に必要なこと
フィクション(物語)を楽しむ際に必要なのは、それがフィクション(虚構)であることを忘れることである。
これが不信の停止の根幹にある考えと言えよう。
つまり今見聞きしている物語を「どうせ作り物なのだ」と斜に構えるのではなく、臨場感と共感を持って楽しむということである。
目の前の物語が作り物であることを一旦忘れ、その世界観に没頭する。そうすることで人はその物語をより深く楽しめるだろう。
不信の停止の例
例えばある海賊漫画を楽しんでいる人に対して、「『ゴムゴムの実』なんて実際にあるわけないじゃないか」とツッコミを入れることに一体何の意味があるだろうか。
私達は別に物語の真偽を最優先に考えているわけではない。
私達は物語の中で壮大な世界観や熱い人間模様や示唆に富んだ心の描かれ方に注目している。
物語の綻びや設定の矛盾ばかりを指摘しても、創作物は楽しめない。
大切なのは自分自身もその世界観に入り込めることなのだ。それはある種の心の豊かさでもある。
不信の停止と現代
そのように考えると、現代は「不信を停止させること」が下手な人が多い気がする。
インターネットで世の中がつながったせいか、誰もが知った顔で物事の矛盾や綻びを指摘する。
人の間違いとか、不完全さとか、矛盾とか、そういうものをわずかであっても許せない人と雰囲気が増えている気がする。
嘘を嘘と知った上で付き合ってあげることができない人が、増えている気がする。
不信の停止と私達の生活
不信の停止とは、要するに野暮なツッコミは入れるなということだ。
フィクションを楽しむコツは、それがフィクションであるということを忘れることである。
それは作り手に対する敬意でもあり、創作物に触れる上での作法でもあるだろう。
だから世の男性は、女性が話すことにいちいち突っ込まなくていい。あれやこれやと知識を言わないで、ただ共感して聞いてほしい。女性が言うことを「嘘かも」なんて考えないで、最初っから信じる前提で聞いてほしい。
それが恋人関係とか、結婚生活といった虚構を楽しむのコツなのだから。