心が辛いときに救われる言葉たち
小さなトンネルを抜けるときほど、身体の力を抜かないといけない
小さく狭いトンネルを抜けるときほど、身体の力を抜かなければいけない。
こわばった身体ではつっかえてしまう。
人は前へ進むとき、大きく穏やかなトンネルばかりなら楽だしそれに越したことはないが、
小さく狭いトンネルを抜けないといけないときもある。
小さく狭いトンネルと抜けるときは、手と足を地面について服が汚れるかもしれない。頭や肩がつっかえぬよう、身体の力を抜かないといけないかもしれない。
いずれにせよ、トンネルの先は、トンネルの中より明るいだろう。
自分の内側を言葉にする
辛いときに辛いと言えることは大切だ。
辛いときに辛いと言葉にできること。
辛いときに辛いと誰かに言えること。
それは弱いことではなくて、勇気があるということ。
自分の内側を言葉にできることは、大切なこと。
何もしてない感覚は疲れるが、何かをしない自覚は癒される
休むことが下手な人は多い。
ダラダラと無目的に過ごしてしまって、余計に疲れてしまう人は多い。
そういう人達も、その時間「何もしていない」わけではない。
動画を観たりお菓子を食べたり、何かはしている。
けれど、「何かをしている」自覚がないと、何もしていないのに疲れた感覚になる。
上手に休むためには、「何かをしない」と自分から決めることも大切だ。
今日は一日仕事のことを考えない。
今日はせかせかせず、丁寧に家事をする。
この時間は携帯を見ないでコーヒーを片手に本を読む。
そう決めて、「ついやってしまうこと」を止めると、自分や自分の心に新たな発見がある。
心は日常で修復される
傷ついた心は特別なことばかりで回復するわけではない。
何気ない日常を過ごす中で少しずつ修復されていく。
ゆっくりと食事を摂ること。
ぐっすりと眠ること。
ゆったりと過ごすこと。
心地良く体を動かすこと。
健康的な生活を丁寧に歩むこと。
辛いときや傷ついたとき、人は何か「特別なこと」をしないとと思いがちだ。
特別なことをしないと特別に傷ついた心は修復されないと思う。
けれど逆だ。心が大きく傷ついたときほど些細な日常は偉大だ。
毎日を丁寧に過ごし、その日々と積み重ねることが、穏やかな心を作ってくれる。
だいたいの人の人生は似たようにみっともない
辛いことがあったり失敗をして落ち込むと、それが自分だけのように感じる。
けれど多くの場合、誰もが似たような失敗や情けない過ちを犯し泥臭くみっともない人生を送っている。
周りがまともに見えて自分ばかりが失敗しているように見えるということは、失敗してもそれなりに立ち直るということだ。他人も、自分も。