第6話「母がいない子②」
正直なところ、ウミちゃんはここに来る必要性はあまりない子だった。
ここには人間関係や、学校生活や、何かしらに悩んだり居場所がないと感じた子が来る。
成績も良く学校でも友達が多いウミちゃんが、ここに通う必要性を見出すのは難しい。
それでも、ウミちゃんはここに来たがるし、私もウミちゃんがここに居ていいと思っている。
ウミちゃんとミツキちゃんは同じ小学校だった。ウミちゃんにとって、ミツキちゃんは少し背伸びをしたい気持ちを満たしてくれる、年上のお姉さん友達のような存在だったのかもしれない。ミツキちゃんが中学・高校と進学するに伴い、ウミちゃんにとってミツキちゃんと会える場所はここになった。
「勝負って?」ミツキちゃんは気だるくウミちゃんに聞く。
「私が最近弾けるようになった曲を弾いて、間違えずに弾けたら私の勝ち。間違っちゃったらミツキちゃんの勝ち。私が勝ったら今度モール行ってクレープ食べよ」
「ウミはピアノ上手いじゃん。それって私不利じゃない?」
「そんなことないよ。曲は『我が愛情』。最近弾けるようになったばかりの曲だから、間違っちゃうかも。ほんとだよ。星野さんも初めて聞いたでしょ?」
ミツキちゃんを説得するため、ウミちゃんは私に賛同を求めているようだ。
「そうね。確かに覚えたてって感じがしたかな」私は言った。
「いや、私その曲知らないし。間違ったかどうかわかんないじゃん」ミツキちゃんは言う。
「さっき弾いた曲だよ。聞こえてたでしょ?」ウミちゃんは言う
「聞いてなかった」
「大丈夫。星野さんが聞いてたから、間違ってたら星野さんがわかるよ。ね? 星野さん?」
「そうね」
さっき一回しか聞いてない曲の正誤を判断できるか自信はなかったが、ここはウミちゃんに肩入れしたほうがよさそうな気がした。
「決まりね」
「えー」
乗りは良くないが、ウミちゃんの言う「勝負」をミツキちゃんは承諾したようだった。
ウミちゃんはピアノの椅子に座る。私とミツキちゃんは近くの長椅子に座る。
ウミちゃんは一度深呼吸をしてから、ピアノを弾き始める。「我が愛情」。天国に居る人と生きている人の会話を表した曲。ウミちゃんはさっきそう言っていた。だったら今、ウミちゃんはお母さんと会話をしているのだろうか。
ウミちゃんは穏やかに、けれどしっかりとメロディーを奏でていく。その繰り返される二種類のメロディーは、今会えない二人の会話を表す。お母さんが生きているとき、ウミちゃんはお母さんとたくさん言葉を交わせたのだろうか。お母さんは、ウミちゃんにたくさん言葉をかけることができたのだろうか。
そんなことを考えていると、私の目には徐々に涙がたまり始めた。私は考えることをやめる。ここで泣くのは、違う気がするから。これからウミちゃんがもしも泣くときがあったら、そのとき私は寄り添ってあげる。ここはウミちゃんにとってそういう場所であり、私はウミちゃんにとってそういう役割だから。
「どうだった? 星野さん、私間違えずに弾けたよね?」ウミちゃんは言う。
「うん、上手に弾けたと思う」私は言う。
「やった。ミツキちゃん、私の勝ちだよね?」
「そうだね」私を横目で見ながら、ミツキちゃんは言った。
しばらくして、私は一人スマホをいじっているミツキちゃんの隣に座る。
「ごめんなさい。あなたが人混みが嫌いなことはもちろん知ってる。でも、ウミちゃんとの時間は、あなたにとってもいい機会だと思ったの」私は言った。
「別に謝らなくていいよ。私は無理してない。ウミと出かけてもいいかなと思ったから、そうしただけ」
「ウミちゃんのこと、心配だから?」
「いや、なんていうか、ウミはピアノを通して新しいことにチャレンジできてる。それを促すのは正しいことだと思うから」
好き嫌いはあるはずなのに、「どうあるべきか」で選択をする。それはミツキちゃんらしいなと私は思った。
「それに」ミツキちゃんは言葉を続ける。「人の心を打つのはある意味で才能だと思うし。星野さん、涙目だったね」
「何話しているの?」
ウミちゃんが駆け寄ってきて、ミツキちゃんにくっつくように隣に座る。
「別に」ミツキちゃんが言う。
「えー、何々教えて」ウミちゃんは言う。
「さっきの曲、『我が愛情』、だっけ? あれ、もしかしてウミが作った曲?」
「あー、バレちゃった?」
「ネットで調べたけど、なかったから」
「正解。でも別に嘘はついてないよ。だからモールには行こうね」
「はいはい」
私は二人の会話を聞いて自分の察しの悪さに気づかされる。あれは、ウミちゃんの作曲だったのか。
いずれにせよ、ウミちゃんの気持ちはミツキちゃんに伝わったようだ。ピアノを通して、ウミちゃんはお母さん以外の人にも思いを伝えることができている。私はそう思った。
続く(近日公開予定)