悩める人の広場
ここは悩んでいる人が集まる場所。あるいは、悩んでいなくても、社会に居場所がない人が集まる場所。
ある人は悩みの解決を求め、またある人は悩みへの共感を求め、またある人は居場所としてここを求める。
ここに来るのは社会に適応できない「まともじゃない人間」か、社会の異常さについていけない「まともな人間」だけ。
社会で生きていくには、ある種の軽薄さが必要なのだと思う。自分や他人を裏切ったり、蔑ろにしたり、傷つけたり、そういうことを「ちょっとくらいならいいや」と割り切れる人間じゃないと、この社会では生きていけない。そういう馬鹿らしい真理を、受け入れられない人達がここには集まる。
私が文庫本を読んで待っていると、一人の女性が表れる。星野さん。
私から見て、星野さんは後者の人間、つまり「まともな人間」だ。まともな人間を私は嫌いじゃない。けれど、心配になることもある。この人の優しさは、この人を壊してしまわないだろうか。
「仕事は順調?」私は言った。
「ぼちぼちよ」星野さんは言った。
ここでは多くの人が敬語で話すけれど、私と星野さんはタメ口で話す。そのほうが気楽だから。ここで気を遣ったってしょうがない。
「しばらく見なかったけれど、何かあった?」私は聞く。
「親戚の不幸があったの。母の妹、叔母が亡くなってね。それで葬儀とかいろいろ」
「そっか。大丈夫?」
「私は大丈夫よ。ああ、でも、やっぱり少し心はまだ変な感じかな。最近はあまり会ってなかったけれど、小さい頃はよく遊んでもらっててね。子供の目線に立てる、優しい人だった。母もすごくショックだったみたい。実の妹が自分より先に亡くなったんだから、当然だけれど」
「そっか」
「叔母が亡くなったことはもちろん悲しいけれど、それに悲しむ母を見るのも、やっぱり辛いわね」
星野さんの言っていることは、なんとなく私にもわかった。人の死は悲しいが、死んだ人はそれきりだ。けれど生きている人は違う。死んだ人の喪失感を抱えながら、人は生きていくことになる。生き続けるとはある意味で、人の死に出会っていくことなのだ。
「私の話だけじゃなくて、あなたの話も聞きたいわ。私がお休みをいただいている間も、来てくれてたんだね。高校生活はどう?」
「別にトラブルはないわ」
「学校生活は楽しい?」
「別に楽しくはないけれど、辛くもないわ」
ここは悩んでいる人が集まる場所。あるいは悩んでいなくても、社会に居場所がない人が集まる場所。そんな場所に来る私と、そんな場所で働いている星野さん。