第6話「子供なりの合理性」
渡辺とは小学校から一緒だが、こうして気楽に話す関係になったのは中学になってからだ。
きっかけらしいきっかけがはっきりあるわけではない。例えばたまたま席が近くになったとか、理科の実験で同じ班になったとか、そういう機会の積み重ねで今に至るという感じだ。
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スマホもネットもある時代に、手書きの手紙は利便性に劣るかもしれない。
それでもクラスで文通、というか、手紙のやりとりが流行った。
最初は女子の間で、次第に男女でちょっとした手紙をやりとりする遊びが、クラスで流行っていた。
スマホを持っている生徒は多いが、全員ではない。
しかし手紙は誰もが書くことができた。
授業中にスマホを見ることに対して、先生達はかなり目を光らせている。
しかし手紙を書くことはごまかせることが多い。
そんな子供なりの合理性の下、手紙のやりとりは流行っていったけれど、それらは枝葉の理由でしかないのだと思う。
結局みんな、仲の良い人・好きな人が書いた手紙が嬉しいのだ。
その人が準備した紙に、その人が手書きで、その人の言葉を書く。
それをもらった人は開いて読む。それはデジタルデータのように華美ではないが一瞬で消えたりもしない。紙を開く感覚、一人一人違う文字の形。それによって表現される言葉。
手書きの文字には温かみがある。
それを僕達にスマホを持たせない方便として、例えば年配の人間に言われたらつまらないけれど、自分達の世代が自分達で気づくぶんにはなんの問題もないのだ。
「はい」渡辺はそう言って僕に小さく折り曲げた紙を渡す。
「次は何書いているの?」僕は言う。
「いや、読めばいいじゃん」
「まあ、そうなんだけど」
僕と渡辺はすでに数回手紙のやりとりをしている。内容は別に大したものじゃない。話しているときと変わらない、くだらない雑談だ。
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僕は受け取った手紙をその場で読むかどうか迷う。クラスで流行っている手紙のやりとりは、ほとんどが雑談を書いたものだ。別に深刻な何かを書いているわけでじゃない。
けれど、書いた本人の目の前ですぐ読むのもどうかと思ったりもする。手紙は時間差で相手に届くものだから。
「読んでいい?」
迷いはしたが、僕はその場で手紙を開くことにした。今この状況は、そうすることがいい気がした。
図書委員の当番の日、僕は図書室のカウンターで初めて小川さんから手紙をもらった。