ロジハラは何が悪いのか考える
ロジハラは何が悪いのか
「ロジハラ」とは「ロジカルハラスメント」の略だ。
ロジカルにハラスメントを行う。つまり理詰めで相手を追い詰めたり嫌がらせをする行為だ。
正論を言って何が悪いのか。
理論的に話しているのに何が悪いのか。
ロジカルに話すことがなぜハラスメントになるんだという反論も少なくない。
ロジカルハラスメントは、一面的な理屈で相手を抑え込む、共感性の低さが問題である。
ロジハラの問題点
一般的には、ハラスメントは理屈の通らない感情的な言動で相手を追い詰めるケースが多い。
これに対し、なぜ理論的(ロジカル)な言動すらもハラスメントになるのだろうか。
理論的に話すこと自体は問題ない。
問題なのは、相手を傷つけるために(あるいは自分が不当に優位に立つために)理論を都合よく使う点だ。
都合よく使った理論が必ずしも正しくない例を挙げてみよう。
「人はいずれ必ず死ぬ。だから今死んでも同じだろう」
これは極論かもしれないが、結局のところロジハラというものはこういうことなのだ。
残酷な理屈を持ち出し相手に不利益を受け入れさせようとする。
ロジハラの例え
「人はいずれ必ず死ぬ。だから今死んでも同じだろう」
そう言われれば、多くの人は反論する。
しかしその反論にも、何らかのロジカルな反論が存在する。
「だからといって今すぐ死ぬのは違う」
→なぜだ? 多くの人は自分の死ぬタイミングを選べないし、そのタイミングは唐突だ。
だったら今死ぬことも選べないという点で同じだ。
「死ぬのは怖い」
→怖いというのは極めて主観的だ。死ぬのを拒否する客観的で理論的な理由を述べてほしい。
「なぜ死なないといけないのか」
→逆になぜ生きないといけないんだ?
繰り返しになるが、人はいずれ必ず死ぬ。
どうだろうか。多くの人は、議論が堂々巡りで埒が明かない印象を覚えたのではないだろうか。
これがロジハラの本質だと思う。
つまり、結論ありきで相手を理屈でねじ伏せることを目的とし、理論的に意見を出し合い互いが合意する・譲歩した結論に行きつくつもりはないのだ。
ロジハラをする人の特徴
ロジハラをする人は、理論的に見えて実は感情的で強情な人間だ。
自分の理論を信じて疑わず、相手の話を受け付けないことは決してロジカルではない。
ロジハラをする人は、理論的に言えば相手に何を言ってもいいし、理論に従っていれば相手がどんな不利益を被ってもいいと思っている。
しかし、人間は理論的であると同時に感情的な生き物だ。
理屈が通っていればなんでもできるというわけではない。そこに伴う感情に折り合いをつけなければ、必ず歪のようなものが生まれてしまう。
ロジカルハラスメントにならないために
ロジハラをしないようにするには、場の文脈を読み取り相手の感情に寄り添うことが必要だ。
理屈だけでなく、相手の気持ちや事情を察すること。理論ではなく相手を理解しようと努める姿勢が大切だ。
ロジハラの被害に遭わないようにするには、自分の感情を肯定することが大切だ。
理論的に言い負かされると、反論できず相手が正しく自分が間違っていると思ってしまう。
けれど、理屈で相手を言い負かすタイプの人がいつも正しいとは限らない。そこには人の感情に寄り添うことが欠如しているからだ。
物事は多面的である。結論ありきのもっともらしい理屈はいくらでも言える。それを人はしばしば屁理屈と言う。
大切なのは一面的に見た理屈を振りかざすことではない。相手と話し合い感情を共有し、理屈の上でも感情の上でも理解をし合えることだ。理解をしたいと寄り添えることだ。
結局のところ、相手に対して敬意をもって誠実に接するということなのだ。