言葉と思いの超ショートショート
おやすみなさい愛している
「おやすみなさい」妻は言った。
「おやすみ。愛してるよ」僕は言った。
「おやすみなさい」妻は言った。
言葉にはいろんな意味がある。「愛している」に対しての頑なな「おやすみなさい」の言葉だけは、きっと愛しているに同意しないということで、妻は怒っているようだ。
あなたは
「あなたはおしゃべりが好きな子ね」
子供の頃、私はお母さんからよくそう言われていた。
その言葉が褒め言葉ではなくて、窘(たしな)める言葉であると私が気づいたのは小学生くらいの頃だった。
私はどうやらおしゃべりで、思ったことを取り留めもなく口にし、思慮深さに欠けるようだ。
多くの人は人の話を聞くよりも自分のことを話す方が楽しい。だからコミュニケーションに大切なのは話すことよりも上手に聞くことだし、上手に話を聞ける人は人に好かれる。自分の口を一旦閉じて、人の話を聞き、受け止める。そういう思慮深さをお母さんは私に教えようとしていたのだろう。
「あなたはおしゃべりが好きな子ね」
大人になってたまに実家に帰って私が話していると、お母さんは時々そう言う。けれど表情は幾分嬉しそうで、穏やかだ。これはきっと、窘める言葉じゃないんだと思う。
好き
「ごめんなさい。打ち明けてくれたのは嬉しいけれど、これからもお友達として仲良くしたいの」
彼女の言葉には気遣いもうかがえて、余計に自分が惨めになった。そして彼女は言葉を続ける。
「私もあなたのことは好きだけれど、それはやっぱり恋愛対象の『好き』じゃないと思うの。勘違いさせてしまったのならごめんなさい」
彼女に「ごめんなさい」と言われたときに、別に騙されたとかの気持ちはなかった。ただの片思い。それだけの話。彼女は悪くない。彼女は親切だったし、「友達として好き」は本音なんだと思う。実際に一緒に遊んでいるときは、彼女は本当に楽しそうだった。
けれど、少しずつお互いの言葉の認識が違ったのだろう。「楽しい」も「気が合う」も「なんでも話せる」も、彼女にとっては友情だった。別に恋愛感情ではなくて。
このままの関係はもう耐えられなくて、気持ちを打ち明けるしかなかった。異性愛者の彼女に私の気持ちを打ち明けたところで、こうなることはわかっていたけれど。