プロローグ
人が生きていくには水が必要で、そのためには雨が降ることが必要だ。
それでも人は雨の日を嫌う。「明日は雨かぁ」と残念そうにし、「今週は雨ばっかりだ」と不満を言う。
もちろん、雨が降れば遠足は中止だし、大雨が降れば命の危険もあるだろう。雨が嫌いになる理由もわからないわけではない。けれど、雨が降って水が手に入って生きている僕達人間が、雨の日を「天気が『悪い』」と言えるのだろうか。
梅雨の時期、みんなが当たり前のように「天気が悪い」と言っているとき、僕はふとそんなことを思った。
それは僕にとって、物心ついてから覚えている範囲での、最初の「気づき」だった。
学校で教えられたり、親に言われたりしない考え方。
僕は雨の日について、クラスメイトにそのことを言ってみた。
「んー、まぁ、そうだけど、遠足中止になるし大雨は危ないし、別に『天気が悪い』でよくね?」
友達はめんどくさそうにそう言った。それ以来、僕はそういうことはできるだけ言わないようにしようと思った。それが僕の二つ目の「気づき」だった。たぶんこういう話は、普段の会話とか、遊びとか、あるいは勉強とか、そういうこととは関係がないのだ。
普段の生活とは少し外れた、けれど生きていく上で何かを意味しているような「気づき」。
僕は時折そういうものを見つけ、考えることが、たぶん好きだったんだと思う。
そして雨の日の「気づき」を見つけて数年後、僕はそれに対して教訓を加えることになる。
人は物事の悪い側面を見ることがあるが、必ずしもそれだけが真実ではない。
だからこれは、僕の「気づき」に関する物語だ。