紳士・淑女が心掛けるマナーと言動

オムニバス(エッセイ風小説)

はじめに

紳士・淑女として

 紳士・淑女としてのマナーや言動を考えてみたい。
 もちろん、価値観は人それぞれであり、マナーの類に絶対唯一のものはない。

 大切なのは、「いい歳をした大人」として何が大切か、自覚と責任をもって自分の頭で考えることなのだ。

 マナーや言動に気をつけるということは、自分や他者に対して思いやりを持つということでもある。

 年齢を重ねた一人の人間として、自分の頭で考え、自分や他者に対して思いやりを持つ。それが紳士・淑女の第一歩だ。

若いときと歳を重ねたときは違う

 人は誰しも歳を取る。
 若いときには許されたり洗練されて見えたことが、歳を重ねると同じことでも違った印象となる。

 若いときの「だらしなさ」は「可愛さ」に見えたかもしれない。
 しかし歳を重ねた「だらしなさ」は「みすぼらしさ」になってしまう。


 歳を取るという避けがたい変化に対して、良い意味で自身の内面も変化していかなければならない。

紳士・淑女が心掛けるマナーと言動

所作

姿勢を正す

 姿勢を正すのは、紳士・淑女の第一歩だ。

 立つ・座る・歩く。これらの姿勢を正すほど、今この瞬間からできて見た目の印象が変えられるものはない。

 いい歳をした大人が猫背では、なんとも情けなく見えてしまうものだ。

大きな音を立てない

 大きな音を立てるのは品がない。それに相手を威圧してしまう。

 大きな音を立てるということは、物を雑に扱っている可能性が高い。
 それは物に対して敬意を払っていないということだ。
 紳士・淑女は人に対しても物に対しても敬意を払うことができる。

 声を出すとき、物を置くとき、ドアを閉めるとき。
 自分から音を出す場面はたくさんある。

 その気になれば静かにできる物音を、大きくしてしまう人がいる。
 そういう人は所作が雑か横柄に振舞っているかのどちらかである。

きれいに食事をする

 食事を綺麗に行えるのも紳士・淑女のたしなみだろう。

 大きな音を立てた咀嚼。
 口や皿から食べ物をよくこぼす。
 箸の使い方が雑である。
 持つべき食器を持たず食べ、持つべきでない食器を持って食べる。

 食事のマナーは様々あるが、まずは自分が思いつけるところから、食事の際に相手を不快にさせない品のある食べ方は何かを考えていきたい。

言葉

人の話を聞く

 歳を取ると、一方的な自分語りほど情けないものはない。
 誰も年老いた人の昔話など聞きたくないのだ。
 いや、正確には、人の話もろくに聞けない年長者の自分語りなど誰も聞きたくないのだ。

 人の話をちゃんと聞ける人が、人から話を聞きたいと思ってもらえるものだ。

敬語を話す

 立場が上とか下とか、年上だから年下だからとかではなく、誰に対しても敬語で話して敬意を払えばいい。

 この人には敬意を払うけれどこの人には敬意は払わなくていいと切り替えられるほど、自分は大層な人間じゃない。

 そう思うことは、逆に余裕につながる。

身なり

清潔にする

 清潔にしよう。そして清潔と思ってもらえるような見た目・行動をしよう。

 清潔であることと、清潔と思ってもらえることは似ているが違う。

フォーマルな服を着る

 歳を重ねたら、ある程度フォーマルな服を着よう。

 若いうちはラフな格好・カジュアルな格好も様になる。
 しかし歳を重ねると同じ服でもまた違って見えるものだ。

 自分に似合う服が変化していると認めることは、良い歳の重ね方の第一歩だ。

生活習慣

持ち物を手入れする

 その物に合った手入れの仕方を知り、実行しよう。
 紳士・淑女の持ち物は、手入れが行き届いているものだ。

 見栄を張って高価な物を持っているのに、手入れの仕方がわからずみすぼらしくなっていることほど残念なことはない。

文化に触れる

 絵画や音楽、歴史など文化に触れよう。心を豊かにする娯楽に触れよう。
 別にお金のかかる趣味の話をしているわけではない。

 地域の美術館や資料館に足を運んだり、文化に触れることは身近なところから気楽に始められる。

 流行りのもの貪り消費するような娯楽ではなく、長い年月をかけて洗練された文化に触れるのは、心を豊かにしてくれる。

人格

穏やかである

 せかせかしない。自分に対しても、相手に対してもである。

 歳を重ねれば、忙しくなる、責任がある、プレッシャーがある、いろいろ事情があるかもしれない。
 けれど余裕というものは自分から作ろうとしないと生まれないものだ。

 歳を重ねると、経験や知見が深まりついつい若者の話を「それは○○ってことでしょ?」と結論を急ぐような言い方をしてしまうものだ。
 しかしそれは、経験や知見は深まっているのかもしれないが、人に対する接し方としては浅はかだ。

 相手を受け入れる器の大きさがなければ、紳士・淑女とは程遠い。

人間として扱う

 相手を人間として扱おう。
 この言葉の意味がわかり、実行できている人は年齢に関係なく紳士・淑女だ。

 飲食店の店員に横柄な態度を取っていないだろうか。
 電話やインターネットで顔が見えないからといって、残酷な言葉を使っていないだろうか。
 自分より立場が下の人間だからといって、ぞんざいな扱いをしていないだろうか。

 相手に対して感謝と敬意をもって接しているだろうか。
 相手にも多様な感情と人格と価値観があることを踏まえて接しているだろうか。
 相手の家族、親、友人など背後にある人間関係も見通して接しているだろうか。
 相手にもかけがえのない人生があることを、尊重しているだろうか。

 私達は別々の価値観・別々の人格を持った、けれどお互いにかけがえのない存在なのだ。

「私は人間だ。だからあなたを人間として扱う」それが紳士・淑女だ。

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