ハムスターの納骨について

オムニバス(エッセイ風小説)

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ハムスターの納骨について

納骨について

 納骨とは一般的に、遺骨が入った骨壺をお墓に納めることを指す。
 納骨の時期は四十九日の法要であり、つまり亡くなっておよそ四十九日後に遺骨を自宅からお墓に移す。

 私達は大切な家族であるハムスターの火葬を済ませ、骨壺に入れた遺骨を引き取った。
 家で簡易な仏壇を作り、遺骨と共に生前の写真を飾った。

 しかし我が家の納骨はずいぶんと遅くなった。四十九日を大幅に超え三百日くらいになった。
 その理由としては、ハムスターが家からいなくなることに心の準備ができていなかったこと、日々の忙しさでペット斎場に行く機会がなかなか作れなかったことがある。
 いずれにせよ、我が家は亡くなったハムスターに対して四十九日の法要を行わず納骨を先延ばしにした。自己弁護をするならば、ペットへの愛情の深さと仏教への信仰の深さは必ずしも一致しない。

我が家のハムスターの納骨について

 ハムスターの最終的な供養について、私達家族は悩んだ。
 愛情の深さと信仰の深さが必ずしも一致しないように、そこに費やすお金の多寡も一致するわけではない。

 私達家族は話し合い、合祀か、有限の期間での納骨堂に選択肢を絞った。

 合祀であれば共同のお墓に埋葬され、我が家のハムスターの遺骨は他のペットの遺骨と混ざり、二度と遺骨を識別することはできないだろう。

 これに対し、納骨堂なら骨壺のままハムスターを収蔵できる。生前の写真を飾り、お供え物をすれば、我が家のハムスター専用のお墓と言えるだろう。
 ただし納骨堂の利用は年間での費用がかかる。おそらく一生納骨堂を利用し続けることはないだろう。
 だから納骨堂は、いつか心の整理ができたときに合祀をするまでの、ある意味での先延ばしとも言える。

納骨の決断

 さらに家族で話し合い、最終的な決断を下す。
 我が家は今度の週末ペット斎場に向かい、合祀にてハムスターの供養を進めることに決めた。
 なぜ納骨堂を利用せず合祀を選んだかと言えば、もう充分先延ばしはしたという思いからだった。

 話は前後するが、ペット斎場で火葬を行った際、一年間の納骨堂の利用料が費用に含まれていた。
 つまり本来なら四十九日まで自宅で骨壺を見守り、四十九日以後からは納骨堂、そして一周忌で合祀がハムスターのよくある供養の流れなのだ。

 しかし我が家は少し優柔不断で、ハムスターへの愛情に心の整理ができていなかった。
 四十九日が過ぎても遺骨を家で見守り、納骨堂を利用しないままもうすぐ更新日を迎える。

 だから我が家は充分この子と一緒に過ごせたと思う。そして先延ばしにするのは、もう卒業なのかもしれない。
 遺骨となったハムスターに、私達は一年足らずの期間、家という最も生活の近い場所で手を合わせ、思い出を振り返り、家族で話をした。今でも時折、ハムスターがケージの中を走り回っていた光景を思い出す。ペレットを両手で持って齧っていた光景を思い出す。そしてその光景はもう見ることができないという事実に胸が締め付けられる。

 もうそろそろ、一歩進まないといけない時期なんだろうな。

 そんなふうに思うと、癒えかけていた喪失感が、再び溢れそうになる。けれどここで悲しむのはきっと違うのだ。
 どうすることもできない切なさを胸に抱えながら、私は納骨の予定を組むためペット斎場に電話をする。

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